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2008年04月30日

補助輪の意味を考えたら

原田です。

今日は、大きな公園に行って、本を読んできました。

公園では、たくさんの子供が遊んでいたのですが、その中で、自転車に乗っている子にふと目がとまりました。

この子は、補助輪をつけて自転車に乗っていたのですが、ペダルを回す度に、大きく重心が右に左にとぶれます。

これを見て、一つ大切なことに気づきました。

補助輪は、「重心を常に真っ直ぐに保つためのものだ。」と。
そしれそれが、自転車に乗るための基本形であり、最初に覚えるべき型であるということです。

自分の過去を振り返ってみても、勉強ができていた時、スポーツの調子が良かった時は、やはり、基本形をしっかりと守っていたときでした。

まずは、かっこ悪くても補助輪をつけて型を覚える。

自分は、変なプライドと、めんどくさがりな性格で、素直に型を覚えることにやたらと時間がかかってしまいました。  


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2008年04月26日

それのどこに価値があるのか

原田です。

今週は、以下の書籍を読みました。

「だから、『仕事がうまくいく人』の習慣」
著書:ケリー・グリーソン氏


本書を読んで学んだことは、

「ノウハウ本は、そのノウハウを実行してみることに価値がある」

ということです。

実際に本書に沿って机の上に山積みになっている整理・整頓を行ったところ、本書が指摘する、「先延ばしの習性」の産物たる書類がたくさん出てきました。

何度も整理するために手をつけていた書類ですが、その書類が「先延ばしの習性」という背景を持つ書類だと意識したのは、本書を読んですぐに実行したからです。

実は、書いてあることは、頭の中では前から「わかっている」ことでしたが、実際に実行してみると、「本当の意味では、わかっていなかった」ということに気づいたんです。


そう、この整理術が、読んだことがある、もしくは聞いたことがあるだけの『知識』に過ぎなかったことに気づいたんです。
  


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2008年04月24日

課題解決のために

原田です。

昨日、お世話になっているコンサルティング会社の社長から、営業担当者として以下の指摘を受けました。

・話が長い
・一つ一つのセンテンスが長い
・言葉が洗練されていない

。。。確かに

このブログの投稿記事もそうですが、自分は文章がまとまっていないのに思い出すようにアウトプットをしていることがよくあります。

これは受け手側が理解しずらい。

そこで、話をまとめて、限られた文字数でアウトプットをする訓練をしたいと思います。

まずはこのブログ投稿から。

皆さんがあまりスクロールせずに読めるように投稿します。  


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2008年04月23日

「主観」

原田です。


「強靭な主観は、時に軟弱な客観を超越する」


これは、移動中に読んでいた雑誌の中で目にとまった、ローランド・ベルガー会長の遠藤氏の言葉です。

学生時代の自分本位な考え方(主観)では社会で通じないと実感し、自分自身を客観的に評価し、戒めてきました。

入社当時から比べると、知識や情報、若干の経験もでき、客観的な視点も少しずつ身に付いてきたように感じます。しかしながらここに来て、この客観的な視点が自分への言い訳になっていることがあるのに気づきました。

なぜそう感じることがあるのか。

少し自分の経験を振り返ってみると、自分への言い訳にしているような時は、何かを「やらない」「やれない」ということの裏づけをしている時だということがわかってきました。

せっかくの客観的な視点も、何かを「やらない」「やれない」理由になるなら意味がありません。

何かを「やる」という意思決定をした時に、それを推し進める際の客観的な論理を加えていくということではないと、何も始まりません。

100のできない理由としてではなく、1つの可能性を推進するための客観性が大切。

つまり、客観性も、まずは主観がないと何の意味も成さないなということを感じたんです。

何かを創造し、流れを作っていく側にまわるなら、もちろん多くの客観的事実を知ることも大切ですが、その上で通していきたい主観を持つ必要がある。

最近、仕事の中でも強くこれを感じています。
  


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2008年04月19日

山のふもと

原田です。

最近やっと、自分の登ろうとしている山が、どれだけ高いものなのかということがわかってきました。

この変化を何かの体験に例えるなら、遠くから高い山を眺めていて、「大した高さではない」と思っていたのが、山のふもとまでたどり着いて初めて、その本当の高さに驚く。と、いったようなものではないかと思う。

今週読んだ本書も、その高さを実感させてくれるものでした。
今の自分には難しかい内容でした。
「プロフェッショナル進化論」
著者:田坂 広志 氏


本書で書かれていることで、「ふもと」にいる自分でも実行できることが以下のことではないかと思います。


□メッセージに言霊を込めて発信する
個人シンタンクとして、メッセージを発信していく際に、「メッセージを広げていくのにはどうしたらいいのか?」という問いに対し、「メッセージを広げようとしてはならない」という一見矛盾した回答をされています。

それではどうすればいいのか。

それは、「自然に人から人へ伝わり、広がっていくメッセージ。つまり、「言霊」を持ったメッセージを発信すること。」となります。

自分のこのブログは「個人シンタンク」と呼べるものではないですが、ただ、そうであると意識し、「メッセージに言霊を込めて発信する」ことで、それが「自身の修練の場」を持つことになる。という田坂さんの言葉を信じ、続けていくべきだと思いました。  


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2008年04月17日

「やれない理由」=「課題」

原田です。

「うわ、自分って弱いなー」って思う時があります。

何かの指示を人からもらう。すると、とっさに以下のような抵抗をしてしまうことがあります。

・やれない理由を言う
・納得いっていないという態度をとる

でも、時間が経ってよく考えてみると、

「やれない理由」⇒それをするに当たってクリアしなければならない課題
「納得いっていないという態度」⇒その指示を最初から理解しようとしていない態度

ということだとわかるんです。

何かをするのには、課題なんて大小の差はあっても必ず存在しますし、何かを理解するのに、頭から理解しようという姿勢がなければ、何も理解できません。

ただ、どっかのポイントで「課題」が、「やれない理由」に切り替わってしまう時があります。

例えば、数学者は、難しい問題こそ楽しみながら解いていきますが、数学が苦手な人は、難しい問題にあたると、頭を抱えるだけ抱えて断念します。数学が苦手な人の「やれない理由」は、数学者にとっては一つの「課題」でしかない。

この「やれない理由」が「課題」に切り替わるポイントがどこにあるかを、ブレイクダウンしてみたのですが、以下のような要因があるように思います。

・そのやるべき事に対する使命感の度合い
・そのやるべき事に対する義務感の度合い
・そのやるべき事に対する自分の技量への自信
・その時のやる気

この4つが、その、やるべき対象にかかるエネルギーを上回っていれば「課題」と捉え、下回っていれば「やれない理由」になる。

だとすると、「その時のやる気」に左右されていることがある自分は、まだまだ弱いし、レベルが低い。

そう感じる事が今日はありました。

まだまだ未熟です。  


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2008年04月15日

熱い思いを報告してくれる友達

原田です。

昨日の夜、大学時代の友達から電話をもらいました。

友達は営業をやっているのですが、昨日の夜は、上司とお客様と一緒に食事に行っていたとのことです。そのお客様は、友達が約1年間、熱心に通い続けて取引を始めてもらったお客様で、その食事の席で、

「君がいなかったら、いい結果を出すことができなかった。」
「御社と取引を始めて本当によかった。」

と、何度もお礼の言葉を言われたそうです。


友達は、この話をしながら電話の先で泣いてました。


声を震わせながら、
「こんなに感謝されているとは思っていなかった。営業やっててよかった。」
と、その時の気持ちをストレートに伝えてくれました。

その熱い思いを感じて、自分も思わずもらい泣きしました。


自分の仕事の仕方を振り返る機会になったことももちろんですが、特に今回は、こんな報告をしてくれる友達が周りにいるということに対して、感謝をしなければならないなと、感じました。  


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2008年04月12日

きっと、よくなる!

原田です。

今日は、
「きっと、よくなる!」
著書:本田 健 氏


を読みました。

すごくシンプルな言葉で、本質的な事を真っ直ぐに伝えてくれる本書は、読んだ後に大きな開放感が残ります。


◆「この世につまらない仕事などない」
⇒長い目で見ると、すべての仕事には意味があり、感性さえ鋭ければどんな経験ものちの人生で生かせる。「つまらない仕事」というのはなく、「仕事とのつまらないかかわり方」があるだけだ。


実は本書は、自分が大学生の時にも一度読んだことがあります。そして、上記している一文が、自分のその時もっていた「仕事」のイメージを一新しました。

自分はこの一文に会うまでは、仕事をするということに対していいイメージを持ってはいませんでした。仕事を楽しんでいる人と会っていなかったからかもしれません。

ただ、本書を読んでから、仕事を楽しんでいる社会人の方に積極的に会いに行くようになりました。

そしてその、「仕事を楽しんでいる社会人の方」には、やっていることは様々ですが、共通点も持っていました。

一つは、経済面も含め、様々な面において豊かであるということ。
もう一つは、何でも前向きに捉えること。

今考えると、よくあんなお願いの仕方で自分に会ってくれたなと思い返しますが、会っても何のメリットもない自分と会う時間をくれました。
そして、そうやって会ってくれた人たちは、今の世の中の問題点を見つけ、「それを解決すれば世の中はこう良くなる。」というアイディアをたくさん持って、実践していました。

当時の自分からすると、それを問題だと認識できても、それを解決することなどできないと思ってしまうことばかりでした。

そう、「自分では解決できない」

と考えていた自分と、

「自分が解決する」

と考えていた人。

問題となる対象がどんなに小さい事でも、どんなに大きい事でも。

「自分が解決する」

と考えている社会人の方々が、「仕事を楽しんでいる社会人の方」だったんです。  


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2008年04月11日

意識を科学する

原田です。

今月で自分は、社会人3年目に入ります。

学生時代に比べ、大きく変化したなと思うのは、自分の「意識」に対する理解度。

学生時代の自分の意識は非常に抽象的だったのに対し、社会人になってからはその意識が具体的になってきたように思います。
さらに、ここ半年間は、意識の具体化が急激に進んでいる気がします。

何故こういった変化が起こっているのか。

一番のポイントは、行動への見直し(反省)をしているかどうか、だと思います。

例えば、ある仕事に対する失敗をした時。
その仕事に取り組む際にどんな意識があったかを細分化すると、

・どうにかなるという安易な期待
・失敗するんではないかという不安
etc
といったような意識があったことに気づきます。
そしてその意識は、

「どうにかなるという安易な期待」⇒準備不足、無計画etc
「失敗するんではないかという不安」⇒スピードの低下、未実施etc

といった要因に繋がり、その要因が「失敗」という結果に繋がります。
さらに、こうやって見直しをすると、意識の前提条件が明確になります。

□「どうにかなるという安易な期待」
⇒その仕事の「難しさを知らない」「リスクを知らない」
⇒その仕事そのもの、または類似したものの経験が無い

□「失敗するんではないかという不安」
⇒その仕事の「難しさを知らない」「やり方を知らない」
⇒その仕事そのもの、または類似したものの経験が無い

そうすると、

知識+経験⇒自身の意識⇒要因⇒結果

といった構造が見えてきます。
この構造を利用することで、意識の具体化が進みます。

例えば、以下のような準備不足による、失敗というケース。

知識(?)+経験(?)⇒自身の意識(?)⇒要因(準備不足)⇒結果(失敗)

これを見直してみる。

前提条件の知識・経験があったかなかったかは、振り返ればすぐに分かります。自分のような社会人暦が浅い人間の場合は、どちらも無い場合が多い。
で、知識(なし)、経験(なし)と埋めてみる。

知識(なし)+経験(なし)⇒自身の意識(?)⇒要因(準備不足)⇒結果(失敗)

すると、自身の意識の(?)に当てはまるのは、「どうにかなるという安易な期待」であることが分かります。


つまり、見直し(反省)をすることで、自身の意識が明確になっていきます。
見直し(反省)をしていなかった学生時代は、(成功)、(失敗)といった結果だけを見て、それ以外は追求しないので、必然的に自身の意識も明確化しません。

さらに、自分が社会人になってからも、しばらくは今ほど意識を明確化できていませんでした。

それは、上記した見直し(反省)のやり方の部分で、「自身の意識」を明確にするというところまで、追求できていなかったからです。

最初は、

知識( )+経験( )⇒要因( )⇒結果( )

こういう反省の仕方をしていた。

すると、新入社員ですから、

知識(なし)+経験(なし)⇒要因(様々)⇒結果(失敗)

となり、失敗して当たり前という感覚があった。だから何度やっても全く改善しなかったんです。

ただ、何度も何度も失敗していくうちに、この見直し(反省)方ではダメなことに気づいた。いや、正確に言うと、この見直し(反省)方ではダメなことを認めた。

なぜなら、知識や経験がなくても、成功していた人が周りにいたから。

彼らと自分の大きな違いは、熱意や責任といったポジティブな「意識」を持っていたこと。その意識があれば、経験は得られなくとも、知識をつけることはできます。また、やり方によっては擬似的な経験も得ることができます。
彼らと比較して初めて、自分はネガティブな「意識」を持っていることを認めた。

しかし、その自分の意識を一度認めるとこっちのもので、意識を変えていくことが成功に繋がると、論理的に理解できると、様々なものがコントロールできるようになってきます。

その仕事に対する自分の意識はどういったものなのか。

意識を科学していくことが、自分を理解することになり、自分の成長になります。  


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2008年04月08日

命を懸けるものがある人の生き方には迫力がある

原田です。

先日、新聞に掲載されていたある記事が捨てられずに、記事を切り取って家に保管しました。新聞記事を保管することなど、これまではほとんどしたことがなかったのですが。

記事は、日本人ジャーナリストの長井さんを撮影した写真を撮った、ロイター通信のアドリース・ラティーフさんを取材したものです。その取材記事と一緒に、実際にアドリース・ラティーフさんが撮った下記の写真も掲載されていました。



これは、ミャンマー(ビルマ)の反政府デモの現場で、ビデオカメラを手にしたまま銃弾に倒れ、射殺されたビデオジャーナリストの長井さんと、逃げまどう市民、至近で銃を向ける兵士らを撮影したものです。

この、銃弾に倒れながらも尚、ビデオカメラを取り続けた長井さんの姿から、

・おそらく長井さん自身が最も理解していた「危険な現場だ」という前提がありながら、反政府デモを撮影していた長井さんの普段からの覚悟

・銃弾に倒れても尚、ビデオを撮り続ける執念

・撮り続けねばならないという責任感

を感じました。命を懸けることがいいというわけではないですが、命を懸けるものがある人の生き方には迫力があります。

命を懸けるものの裏にある、「覚悟」「執念」「責任感」、こういったものが迫力となって伝わってくるのだと思います。

自分達のような恵まれた環境で育ってきた世代には、この「迫力」が低下しています。言い換えるなら、生命力が低下しています。この個々人の生命力の低下が、ひいては国力の低下に繋がっているのだと思います。

長井さんのような方の生き方を見て学び、再度自身を鍛錬していくことを、自身に言い聞かせなければならないと思いました。


この写真は昨日、ピュリツァー賞を受賞しました。
自分がこの写真から大きな衝撃を受けたように、多くの人がこの長井さんの姿から衝撃を受けたのだと思います。  


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2008年04月05日

「弱点が最大のチャンス」

原田です。

前回のブログ記事の、

「PCの画面と現代社会の相関性」

で、おぼろげながら感じて書いたことが、この書籍を読むことで確信に変わりました。

「フューチャリスト宣言」
著者 梅田 望夫氏/茂木 健一郎氏


これは、インターネットの可能性に関して、著者のお二人が語っている対談なのですが、その対談の内容を読むだけで、

「同じモノを使っているのに、使い方でここまで差がでるのか!」

と、実感させられる内容です。

現代では、ほとんどインフラとも言える、無限の可能性を秘めた「インターネット」というツール。

このツールの「無限の可能性」を感じるために、自分が最も理解しやすかった言葉が、


「毀誉褒貶(きよほうへん)」
ある点はほめられたり、またある点はけなされたりすること。(はてな参照)

どういうことかというと、ブログやSNS、掲示板などのネットでのコミュニケーションを可能にするツールを使うことで、多くの人から批評を受けとることができる。逆に、多くの人へ批評することもできる。

つまり、「ほめられたり、けなされたりできる。」ということ。

で、この「ほめる」「けなされる」という表現を、少し言い換えてみて「肯定する」「否定する」とする。

そうするとこれは、ある事象に関する「納得解」を生み出すプロセスとも考えられるんじゃないかと。

自分が「納得解」を出したい何かの事象に関してインターネットに公開すると、批評を得るというかたちで「納得解」を出すプロセスにたくさんの人が協力してくれる。さらには、主体が「自分」という小さな部分ではなく、「世界」という大きな枠組みで「納得解」を得ることができる。
こんなツールとして、インターネットを見ると、可能性はまさに無限大。

「毀誉褒貶」という言葉は、そのインターネットの性質をうまく現しているんではないかと思います。

この言葉を聞くと、少なくとも、インターネットを「何かの調べものをするのに便利なツール」とは解釈しません。



そして、本書では最後に、私達若い世代に、その使い方を指南してくれています。

「弱点が最大のチャンス」

たくさんの優れた人は、みんな誰でも欠点、弱点、だめなところを持っているが、それこそが自分にとっての最大のチャンスだということ。

自分にとっての一番の弱点を克服することは、自分にとって一番苦しいこと。
しかし、もしそれを克服することに成功したら、それは自分にとっての最大の成長になる。

インターネットは、その自分の弱点をさらけ出すツールとして利用できる。


去年の10月、ブログを書き始めてよかった。そしてこれからも続けていこう。  


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2008年04月03日

「PCの画面と現代社会の相関性」

原田です。

今朝は、ある会社の新入社員様向けの研修にオブザーバーとして参加してきました。PCスキルに関する研修です。

実機を使った研修で、一つ一つの機能を実際に使いながら学んでいきます。

その様子を自分はずっと外から眺めていたんですが、そこから何かこう、今の時代の象徴というか、なんというか、ちょっと面白いことに気づきました。


講師が受講者にある機能を説明した時のこと、

A:「おお、すごい。」

B:「俺は知ってたよ、さらにこんな事もできる」

C:「ふーん」

受講者はみんな、この時に同じ画面をPC上で開いています。しかもその画面は、どの受講者も一度は自分で見たことのある画面です。

ここで上記の3人を二つに分けます。

①これまでも目に入っていたのに、それが何なのか、どのように使えるかを
知らなかった。⇒A、C

②目に入ったものに関心を持ち、それが何か調べ、使いこなしていた。
⇒B

そしてさらに、上記の①を二つに分けます。

a、これまで知らなかった機能を知ることで、感動し、次のアクションをおこす。

b、これまで知らなかった機能を知ったが、特に感動もなく終わる。

ちなみにAさんはこの後、エンジンがかかったのか、講座が進むにつれて感動も増し、どんどん質問をして講座の内容を自分のものにしてました。


この一連の流れで何に気づいたか。

「PCの画面と現代社会の相関性」(ちょっと大げさですが・・・)

パソコンの画面には、一度にたくさんのものが映っています。しかも、それぞれに機能がある。そして、調べようと思えばすぐにその機能が何かを知ることもできます。機能を知って使いこなせば、一人でもすごいことがたくさんできます。しかも、その画面は、パソコンの電源をつけることさえできれば、誰にでも見ることができます。

町を歩くと、たくさんのお店があります。しかもそれぞれに様々なサービスを提供しており、立ち寄ってお願いさえすれば、どんなサービスなのか説明をしてくれます。使いこなせば、色んなことができます。町に何があるかは、そこを通れば、誰にでも見ることができます。ただし、町の中の機能を使うには、それぞれお金が要ります。

ものが溢れて、様々なものが充足している現代社会と、たくさんの機能が整備されているパソコンの画面は状況が似ている。

得ようと思えば、得ることができる環境が整っている。

しかしながら、同じ環境にいながら、

・興味を持って自発的に機能を使いこなしていく人
・教えられれば、素直に理解・感動し、興味を持ち始め、使いこなしていく人
・教えられても、興味も湧かずに終わる人

と、大きく分かれる。

そしてここから、その人が社会の中でどういった位置づけになっていくかがわかる。

こんな事を、研修を見ながら考えていました。  


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2008年04月01日

「何ができるか」

原田です。

本日は、「天神交流会」に参加してきました。

弊社森戸のブログでも何度も紹介している、佐賀県武雄氏の樋渡市長にご講演いただきました。

おかげさまで満員御礼の大盛況でした。
ご参加いただいた皆様、お疲れ様でした。

1時間弱の講演だったのですが、笑いの耐えない、中身の濃い時間となりました。

正直最初は、「地域興し」のようなイメージで話を聞いていたのですが、最後には一営業担当者としてためになる話がたくさんあったように思います。

例えば、話の中で事業を推進するポイントとして言われていた、

・相手に印象に残るようにする。ただ、相手に失礼になるようなことはダメ。
・まずはたくさんの人に、これからすること、したいことを言ってまわる。
・どこかと連携する時には、力の強いところと組む。

といった考え方は、営業担当としても学ぶべき部分です。

その他、お話いただいた具体的な施策等は、ぜひ下記の本を読んでいただくか、樋渡市長の話を聞ける場に足を運んでいただければと思います。


今回の講演を通して、最も大きな学びだったのは、人を動かしていくために必要な考え方です。

樋渡市長は、講演の中で度々、

「できないことを考えても仕方ないので、何ができるかを考える」

とおっしゃっていました。

レモングラスやがばいばあちゃんもそうですが、特産品や名物がないなら持ってくる、作る、という考え方。「何かがない」環境に不満をもらすのではなく、ないならないで持ってくる・作る。つまり、「何ができるか」を考えるということです。

この「何ができるか」という前向きな思考と姿勢、且つ、具体的なアクションに落とすという性質をもった「問い」に人は動かされていくのではないかと思いました。

そして、この考え方がベースにあると、年齢や性別、現在の地位などの環境に関わらず、どんな人でも「人を動かす」ことはできるし、「世の中を変えていく」ことができます。そして誰よりも自分自身にその実感が湧き、その実感が責任感や使命感に変わり、さらに次のアクションへと自分自身を駆り立てていくことになると思います。

責任感や使命感のない、今の自分に反省。
がんばります。  


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