2009年09月22日

伝達手段として考えたら。。。

ちょっと雑談ですが、一昨日、国宝阿修羅展(九州国立博物館)に行ってきました。


この連休の影響が大きく、入館までの待ち時間表示は3時間!来ている人の年齢は幅広く、子供からご高齢の方まで様々といったところです。(※実際には並び始めて入館まで1時間弱ぐらいだったと思います)

しかしながら、正直自分は、美術品としての仏像の展覧会というものにあまり興味がないものですから、何か違った楽しみ方はないだろうかと考えながら、見て周りました。

すると一つだけ、他の展示品とは異質の説明があるものに目がとまりました。

今回の展示会のメインでもある、阿修羅立像。

これには、美術品としての説明の中に、なぜこのような表情をしているかという、背景となる物語が簡単に書かれていました。

物語の詳細はここでは書きませんが、何かすごく、いい意味での人間臭さのある物語です。そして、人への戒めをするような物語でもあります。

そこで思ったのが、“人に何かを諭すため”ということが、仏像の大きな目的だったんではないかということです。

当時の、読み書きができない多くの人の情報を得る手段を考えると、“誰かから間接的に話を聞く”もしくは、“自分の目で直接見る”ということくらいしかありません。

すると、その当時に、“ある背景を形どった像(直接見えるもの)”が、“その仏像の持つ背景(物語)を伝える人がいるお寺にある”ということは、当時の何か大きな伝達手段の一つだったと考えてもおかしくありません。

そして、その伝達すべきものが、人への戒めや教訓といったものであれば、当時のお寺は現在の学校で、仏像は教科書のような位置づけだったのではないかと自分は考えました。

展覧会から帰って調べてみたところ、やはり自分の中でしっくりくる仏像建造の目的は、「仏の教えを伝えるために図画化した」というものでした。

よく考えれば、長い年月が経っているからこそ、現在は美術品として価値のあるものですが、造られた当時はもっと違った価値に重点がおかれていたとしても不思議ではありません。

そう考えると、ほとんどの展示品が美術品としての制作の方法や復元の歴史の説明書きがしてある展覧会のようなものではなく、その仏像が造られた背景を学ぶような場にしても面白いんじゃないかと思いました。

いや、そうなると何か堅いイベントになってしまって、人が集まらないのかなぁ。。。



Posted by KNブログ at 19:31│Comments(0)
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