2007年11月17日
自身と競う
原田です。
いきなりですが、自分は昔、競うことが嫌いでした。もっと言うと、他人と比較されることが好きではありませんでした。正直、自分にあまり自信がなかったからでしょうか。ただ、そういう自分の弱い部分を見せたくもなかったので、その事実すら隠していたように思います。
そんな時期から抜け出したのは、スポーツを始めてから。スポーツを始めて、「これをやっている!」と人に言えるものができて、自分に自信がついてきました。そこから少しずつ、人と競うことに楽しみを感じはじめました。
人と競うことの楽しみを感じ始め、自分は人よりも強い体を持っている。という特長を知り、その特長を伸ばすことに快感を覚えてからは、人と競うことが楽しくて仕方ありませんでした。何か面白い人に会う度に、闘争心をむき出しにしていました。
それから、大学1年の冬。ある本との出会いで、この、人と競うことで闘争心を燃やす自分が、なんと幼稚なものかと考えるようになりました。人ではなく、自身に対して闘争心を燃やせるようにならないといけないと、強く感じました。
ただ、今でもまだその名残があります。人に対して闘争心を燃やしている自分に気づいたときは、その闘争心を自身に向けるか、沈静化するように努めています。
いつ何時でも、「自身と競う」という感覚を忘れないようにしたいです。
まだまだ、精神が未熟だと感じます。
いきなりですが、自分は昔、競うことが嫌いでした。もっと言うと、他人と比較されることが好きではありませんでした。正直、自分にあまり自信がなかったからでしょうか。ただ、そういう自分の弱い部分を見せたくもなかったので、その事実すら隠していたように思います。
そんな時期から抜け出したのは、スポーツを始めてから。スポーツを始めて、「これをやっている!」と人に言えるものができて、自分に自信がついてきました。そこから少しずつ、人と競うことに楽しみを感じはじめました。
人と競うことの楽しみを感じ始め、自分は人よりも強い体を持っている。という特長を知り、その特長を伸ばすことに快感を覚えてからは、人と競うことが楽しくて仕方ありませんでした。何か面白い人に会う度に、闘争心をむき出しにしていました。
それから、大学1年の冬。ある本との出会いで、この、人と競うことで闘争心を燃やす自分が、なんと幼稚なものかと考えるようになりました。人ではなく、自身に対して闘争心を燃やせるようにならないといけないと、強く感じました。
ただ、今でもまだその名残があります。人に対して闘争心を燃やしている自分に気づいたときは、その闘争心を自身に向けるか、沈静化するように努めています。
いつ何時でも、「自身と競う」という感覚を忘れないようにしたいです。
まだまだ、精神が未熟だと感じます。
Posted by KNブログ at 09:00│Comments(0)