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2008年06月15日

学習するという意識

原田です。

続けて読んでいただいている方には、言うまでもないですが、
ブログの更新をサボってました。すいません、怠慢です。

しかしながら、この機会にと思い、この状況を掘り下げてみたいと思います。


■自分にとってブログの更新とは何を意味するのか。

それは、自身の『学習』というものを構成するプロセスの一つ、「アウトプット」。ということは、「ブログの更新」をサボるということは、日々の『学習』をサボることに繋がっています。

確かに振り返ってみると、ここ2週間は『学習』をするという意識が非常に希薄で、それと連動して、『学習』をしている時間が極端に減っています。

それでは、


■『学習』への意識が希薄なことで、何がおこるのか。

まず、そもそも『学習』とは何かというところから始めると、

『学習』・・・経験を通じてその知識や技能を獲得すること。(「はてな」調べ)

となります。この『学習』の定義を前提として、ここ2週間ほどの自分を振り返ってみると、『学習』の意識が希薄なことで以下の2つの傾向が出ていたように思います。

[1]意思が弱くなっていっている
[2]なんか態度が偉そうだった

それぞれをさらに深堀していきます。

[1]意思が弱くなっていっている

『意思』・・・自発的に目的を選択すること、その実行のために要する手段を思考すること(「ウィキペディア」調べ)

さらに、『意思』が弱くなったら何が起こるか、

◇意志は、欲動を適切に制御して、自分の行動が目的に合うように調整する。しかし意志の力が弱くなり、欲動を抑制できないと、「衝動行為」が起こる。(「ウィキペディア」調べ)◇

これを前提とすると、自分は『学習』をすることで無意識に繰り返し行っていたことがあることに気がつきます。それは、


『目標』、『目的』の確認


『学習』は、時間の長短はあるにしろ、「自身の将来」のために行います。そしてその「将来」というものの背後には、『目標』『目的』があります。

ここから察するに、普段、何かの事象・事物から「学ぼう(学習しよう)」とする度に、必ず自身の『目標』、『目的』の確認をしているように思います。

そうすると、『学習』する機会が減り、意識が薄れていくことは、『意思を弱らせる』ことに繋がるということが言えるのではないかと思います。


[2]なんか態度が偉そうだった

これは実際に、ここ2週間の中で何度か指摘を受けました。

では、何をした時に指摘を受けたのか。それは、

『批評』・・・ある事物・事象についての、何らかの思想・主張を持つ者による個人的見解の発露(意見提示)。(「はてな」調べ)

です。

もう、正にこれです。

特に注目すべきは、「発露(意見提示)」という部分。

学習をしていない時の批評はここが目的になってしまっているからダメです。

逆から言うと、「知識や技能を獲得すること」が目的となっていないということだからです。

これは非常に危険で、「発露(意見提示)」すること自体は一種の快感のようなものがあります。だから、いつの間にか癖になってしまうことがあります。

すると、そこの先にある「学習すること」を辞めてしまうことに繋がることがある。

さらに、こういった批評は相手に不快な思いを与えます。これを続けると、「人から教えてもらう」という大切な学習の機会を減らしていくことにも繋がっていきます。


学習する意識を持ち続けること。それは、様々な事象に対して柔軟であることであり、素直であることではないかと思います。  


Posted by KNブログ at 09:00Comments(0)