2008年05月24日
密度
原田です。
一秒でも多く、密度の濃い時間を過ごすこと。
それが、自身の生きている意味を深めていくことではないか。
と考え始めたのは、二十歳を過ぎた頃だったと思います。
その頃から、どうしたら「密度の濃い時間」を過ごすことができるのか?ということを自身に問いかけ始めました。
そして、本当に具体性のある「密度の濃い時間の過ごし方」がわかってきたのは、働き始めてからです。
ここで言う「密度の濃い時間」の定義は、人それぞれだと思います。
人それぞれの「密度の濃い時間」が、その人を形作っていくのだと思います。
「自身の過ごす時間」は、その人以外には過ごせないからです。
自身の「密度の濃い時間の過ごし方」がわかってきたからか、発する言葉も、本当の意味で「自分の言葉」になってきた気がします。
こういった経験をさらに深め、「自身の言葉」を完成させるに至るまでを若干15歳で実行した方の本を読みました。
「啓発録」
著者:橋本 左内
ここに書かれていることは、今の自分では、実行するどころか、言葉として表現することもできません。
自分にはまだまだ、「密度の濃い時間」が足りません。
一秒でも多く、密度の濃い時間を過ごすこと。
それが、自身の生きている意味を深めていくことではないか。
と考え始めたのは、二十歳を過ぎた頃だったと思います。
その頃から、どうしたら「密度の濃い時間」を過ごすことができるのか?ということを自身に問いかけ始めました。
そして、本当に具体性のある「密度の濃い時間の過ごし方」がわかってきたのは、働き始めてからです。
ここで言う「密度の濃い時間」の定義は、人それぞれだと思います。
人それぞれの「密度の濃い時間」が、その人を形作っていくのだと思います。
「自身の過ごす時間」は、その人以外には過ごせないからです。
自身の「密度の濃い時間の過ごし方」がわかってきたからか、発する言葉も、本当の意味で「自分の言葉」になってきた気がします。
こういった経験をさらに深め、「自身の言葉」を完成させるに至るまでを若干15歳で実行した方の本を読みました。
「啓発録」
著者:橋本 左内
ここに書かれていることは、今の自分では、実行するどころか、言葉として表現することもできません。
自分にはまだまだ、「密度の濃い時間」が足りません。
Posted by KNブログ at
09:00
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