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2007年12月12日

下を向いて生きよう。

原田です。


本日は以下の書評を書きたいと思います。
「下を向いて生きよう。」
著書:安田 佳生 氏


普段、本を読む前には必ず、「はじめに」と「目次」を読んで、その本を読む目的を決めます。しかしながら、本書に関しては、目的を立てることができませんでした。「はじめに」にあたる部分と「目次」を読んでも、この本で何を伝えようとしているかが明確にならなかったからです。

よって今回は、本書を読み進めていく中で気づいたことを上げ、読みきったとこから、何を学んだかをまとめてみました。


□「欠けた部分」を楽しめるか
⇒「人は、最初からできることには、喜びを感じられない。」

当たり前のようですが、すごく面白い観点で、普段の自身の働くことへの考え方を大きく変える視点でした。

例えば、このブログで以前自分は、「継続することができない」ということで書評を投稿しました。これを上記の視点から見たとします。自分は生まれつき、「継続することができた」としたら、自分にとって「継続する」ということは「当たり前」のことで、それに対しては何の喜びも感じられないものになるはず。しかしながら、今、こうやって「継続する力」をつけるためにブログを投稿しているこの瞬間は、「できる」ようになるための一歩を積み重ねている瞬間であり、この瞬間がすごく嬉しい。

現に今、このブログを書きながら、自分がここ3ヶ月ほどで投稿した記事の一覧を見て、少し自分の中に嬉しさが沸いてきたのを感じました。


□「意思が強い」と「頑固」
 「アンティーク」と「中古品」
 「霜降り九十パーセントの高級肉」と「百パーセントの脂身」
⇒どれも紙一重です。例えば、「意思が強い」と「頑固」というのは、意思の弱い人からすると、どちらも「意思の強さ」があるはずです。ただ、その意思の強さが行き過ぎると「頑固」になる。その他二つに関しての説明は、興味がある方はぜひ本書を読んでみてください。


ここで自分は感じたのは、人の「できる部分」と「できない部分」の割合もそうですが、何かのものごとの本質は、そのものごとの良し悪しという部分とは、違ったベクトルに存在するのではないかということ・・・

少し分かりにくいでしょうか・・・正直、自分も明確に言葉で伝えれるほど深く落としこめたわけではありませんが。

ただ、一つ言えることは、人と付き合うとき、それが社内の人であっても、お客様であっても、良し悪しではない違った視点から見つめる必要があるのではないかと思います。


本書を通して感じた、まず自身が最初にすべきことは、自身をさらけ出すということではないかと思います。

なんとなく、著書の安田さんも本書を通して自身をさらけ出すということをしているのではないかと思いました。

ただそれは決して後退することではなく、前に進むことだと思いました。以前、本屋で立ち読みをして少し目に付いた文章で、



「成長することは、何かを着ることではなく、何かを脱いでいくことだ」


というのがありました。

自分も、これまでの投稿を通して、自身の輪郭をはっきりさせてきたことがよかったと思います。  


Posted by KNブログ at 09:00Comments(0)